内田輪店

モーターサイクル、特にオフロードバイクが大好物です。 趣味と物欲にまみれた日々を、若干反省しながら綴っていきます。(苦笑)

そうだ 日高、行こう【その1】

自分が免許を取ってバイクに乗り始めたのは、高校卒業を間近に控えた平成元年3月のこと。
その前から、興味の対象が『F1』よりむしろなぜか『パリダカ』に向いていた自分が、バイクに乗り始めるにあたってオフ車を選んだことは、もはや自然なことだったのだろう。
 
そして大学に入り、写真部と悩んだ末に『モーターサイクル部』に入ったのが、今に至るその後の自分の全てを決めたと言って過言ではない。

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3月にはピカピカの新車だったXLR-BAJA(MD22)は、入部するや否やあっという間に河川敷でタンクを凹ませ、GWには部車のDT50で桶川(セ-フティーパーク埼玉)のエンデューロに出させられ、曜日も昼夜も晴雨も問わずに丹沢の林道へと先輩方に引きずり回されたのだから、どれだけ転がるように『オフ沼』にハマっていったのか、思い出すだけでも苦笑いだ。
 
ビギナーの自分の教科書といえば、やはり『GARRRR』となぜか『Momoco別冊(笑)』だった『BACK OFF』。
それはもう、毎号記事から広告まで隅から隅まで読み尽くしていた。
 
その中で、印象に残っているレースの記事が二つあった。
一つは、自分が乗り始めた平成元年に第一回大会が開催されたTour de BlueIsland(TBI)
パリダカに挑戦し続けたSSERが、日本で最初に行った『ラリーレイド』だ。
そして、もう一つが『日高2days Enduro(HTDE)
北海道を舞台に、広大な自然と果てしなく続く(と思えるほどの)“ヤチ”がライダーの完走を阻む、スケールも難易度も日本一を誇る本格的な『エンデューロ』だ。
 
乗り始めた当初は決してレース志向ではなく、あくまで“旅の道具”として付き合ってきたバイクではあったが、この2つの競技だけは「いつかは自分も…」という思いが心の片隅にずっとあった。
 
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そして2001年、次のステージへの移行のために、『最終回』と銘打って開催されることが決まった『13th. TBI』。
自分も慌てて準備を整え、KTM640ADV-Rで参戦し、何とか完走。
7日間のうち、実に5日半は雨が降っていたという記憶が大半を占めるが、『パリダカ』に少なからず憧れを持っていた自分にとって、非常に貴重で素晴らしい体験に満ちた、忘れられない一週間となったことは間違いない。
 
そして、もう一つの憧れ。
会場となる『日高』の地へは、ここ数年、夏になるたびにツーリングで訪れていたのだが、それでもまだ自分がこのレースに出ることについては今一つイメージできていなかった。
しかし今にして思えば、以前から親しくしていただいている『BIG TANK MAGAZINE』編集長の春木さんと数年前に日高で再会した時から、少しずつパズルのピースが揃い始めたのだろう。
そして、彼を通じて、HTDEを主催する『日高モーターサイクリストクラブ』メンバーと知り合えたことで、年に一度、夏に訪れるだけの『日高』の地に、少なからず特別な想いを抱くようになる。
 
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そして、一昨年の夏。
『日高MC』のメンバーが、自分を早朝ライドに誘ってくれたのだ。
ツーリングの途中だった自分は春木さん兄の愛機TE250に跨り、みんなに連れられて新緑のまぶしい日高の森を味わうという貴重で贅沢な体験をさせてもらった。

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スキー場の頂上にバイクでのぼり、日高の町を見下ろす。
少しばかり朝靄に煙る町と、朝日を浴びて輝く日高の山々。その景色に、オフロードバイク乗りであれば魅了されないはずなどない。
その時、思ったのだ。
 
「ああ、この場所を次は自分のバイクで走りたい。そうだ、“日高”に出よう」
 
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ツーリングで訪れるだけでは絶対に味わえない。
自分は自分のエンデューロバイクで、“日高に還りたい”と。
 
それから2年。
“その時”がもうすぐ訪れる。
コースの一部に一般公道が使用される『HTDE』は、今まで自分が出てきたクロスカントリー的なエンデューロレースとは、求められるものがあれこれ異なる。
試行錯誤しながら準備に追われている真っ最中だが、それすらも楽しみでしかない。
 
今の自分は順位を競うレベルには無いけれど、これまでに得たスキルをフルに活かして、とにかくケガなく完走を目指すことにしよう。
 
レース本番まであと一ヶ月半。
やることはまだまだ沢山あるのだ。